ある日突然、自死遺族になって。

2016年10月に息子を自死で亡くしました。過労自死でした。

知人の訃報

昨夜、同じ家族会の方が、亡くなったと連絡があった。


数年前にシステムエンジニアだった次女さんを31歳で過労死で亡くして、裁判には勝っていちおう切りはついていたけど、大学教授をされていて退官して、享年75歳だと聞いていた。



いつも物静かな佇まいで、穏やかな笑顔を絶やさない心優しい知的な紳士だった。



昨年末まで、地元で活動されていたが、体調を崩されて、ひとり暮らしは心配だからと、東京にいる娘さんのところに身を寄せられて、時々メールやLINEでやり取りしていたので、まさか急に亡くなるなんて・・・




あまりのショックに涙が、しばらく止まらなかった。




娘さんを亡くされたときは、まだ九州には過労死の家族会さえなく、労災を引き受けてくれる弁護士さんも九州には、ほとんどいなかったらしい。




娘さんを亡くして半年は、奥様ともども、あまりのショックに、どうやって生きてきたのかさえ記憶にないんですよ。と、おっしゃっていた。




最初は奥様がメインで労災の活動をしていたが、九州にないので、大阪の家族会に所属して頑張っていられたらしい。



結局、労災は認定され、裁判にも勝ち、会社と和解したそうだ。



でも、会社は最後まで謝罪は拒否したらしく、ご両親にすれば、とても満足のいく内容ではなかったらしいが、このままでは決着がつかないからと、和解に応じたそうだ。




でも、会社が謝罪しなかったことで「私は永久に、あの会社を許しません!」と、言われたとき、いつもにこやかな笑顔のお父様が、とても厳しい表情を浮かべたのが、心にのこっています。




それから、家族会を立ち上げることになったそうですが、当時は当県では、たった1

家族だけだったので、大阪で一緒に行動していた、お隣の県と 2県合同でようやく家族会発足までこぎつけました。




けれど発足する2か月前になって、奥様が急逝されてしまいました。



亡くなる直前に、これからの家族会をご主人に託して永眠されたそうです。




そのことを受けて、ご主人が活躍されるようになった矢先に、奥様の後を追われるように急に亡くなるなんて、本当にショックが大きいです。




お隣の県の家族会の方たちは頑張って活動されていますが、メンバーはなかなか増えません。



当県では、私がやっとの二人目で、労災申請する人は氷山の一角と言われることを、本当に実感させられます。



でも、愛する奥さまと娘さんのところに

行かれて一緒に、心安らかに過ごされることを願ってやみません。




本当にお疲れさまでした。



長々と読んでいただき、

ありがとうごさまいました。

頑張ったのに

何をしてたわけでもないのに



突然、涙があふれ出てきた。


ちょっと息子のことを

考えただけなのに




なんで、自分で命を絶ったんだろう。



いくら今ごろ考えても

本人がいなくなってしまっては

想像の域を出ることはないが・・・




あんなに、いつも全力で

一生懸命生きてきたのに



あれだけ、色んなこと頑張ったのに



人のことまで心配して

一生懸命助けてあげて

みんなからも感謝されていて



家にいるときぐらいは

仕事のことを考えたくないからと

いろいろな資格も取ってたみたいで



どうして、そんなに頑張ってたのに




自分でさっさと終わらせてしまったの?

全部、無駄になっちゃったよ。

ありったけの頑張りが・・・



でも、こんなこと言っちゃうと

○ちゃんの人生を

全部、否定したみたいになっちゃうよね?



その○ちゃんの生きようとする意欲を



全て奪ってしまうほどの

ひどいことがあったんだよね?



せめて、お母さんには

相談してほしかったけど

お母さんに心配かけたくなかったんだよね




ごめん。

気がついてあげられなかった

お母さんのほうが、ダメダメな母親。



本当に会いたくてたまらない。



いつもの笑顔を見たい。



もう、どうやっても叶わないのかな?



諦めがまだまだつかないよ。

九州生まれ、九州育ち!!

私は九州に住んでいる。亡くなった次男も九州で生まれ育ち、大学も九州だった。



東京の会社に内定したと聞かされた

ときには、田舎しか知らない息子で

大丈夫なのかと心配だった。



でも、最初は東京での生活が楽しいと

話す息子の様子に安心していた。



だが、東京本社での後半は

いじめやいやがらせ、パワハラ

過重労働、長時間労働に

サービス残業とフルコースだったらしい。



その頃からだんだんと精神的に壊れて

いったらしい。



それから亡くなるちょうど一年前に

異動の話が出てきて

早く本社を出たかった息子は承諾した。



確かに異動先では

同僚には恵まれたと言っていたが



上司が有名なクラッシャー上司だった。




息子のことを考えてくれたのてはなく、

皆が嫌がるポストにそのことを

知らない息子が回されただけだった。




案の定、息子はターゲットにされ

異動先でちょうど1年経ったとき

退勤後、自宅で自ら命を絶った。




結局、亡くなったのは関東、しかも東京から異動した、あまり交通の便がよいとは言えないところ。





まさか、こんな縁もゆかりもない土地で、息子が最期を迎えるなんて、考えるはずもなかった。




けれど、現実に起きてしまった。




だから本当は、思い出したくもない場所なのだけど忘れることもできない。




遠すぎるので、現地で息子を偲ぶことも、そう度々はできない。




働いていた施設に入ることもできないし、住んでいた部屋も入ることはできない。




どちらも外から眺めて、息子が頑張っていたことを思うしかできない。




私からしてみると、いい思い出など全くない土地だが、最愛の息子が最後を過ごした土地だと思うと、訪れる度に帰りは立ち去り難い。




これからも、きっと時々はやって来ようと思う。私が来る度に、同僚の方たちが集まってくださることが、唯一の楽しみだ。




でも、当時のメンバーもかなり

入れ替わってきて様子も変わったらしい。




息子の事件を知ってか知らずか

最近はハードな仕事に見切りをつけて

辞めていく若い人が割と多いらしい。



逆なのだけど、それも少し寂しい気もする。



息子が命まで犠牲にした仕事だから。




集まってくださるメンバーの方たちは

息子のことは、一生忘れません・・と、

言ってくださる。本当にうれしい。




なぜか、こんな土地に縁ができてしまった。




息子はやっぱり、もっと近くに置いておけばよかった・・・と、後悔しかない。




ごめん。また、たら・・れば・・の話をしてしまったよ。