ある日突然、自死遺族になって。

2016年10月に息子を自死で亡くしました。過労自死でした。

大好きな○ちゃんへ・・・

○ちゃんが亡くなってから
もうすぐ、1年と5ヶ月経ってしまう。



でも、悲しみは変わらない。



確かに、号泣することは
少なくなってきた。



自分が薄情な母親のようで
後ろめたく、自分を責めてしまう・・・



○ちゃん!!
なんで、黙ったまま
お母さんに何も話してくれないで
ひとりで逝ってしまったの?




お母さん、このままじゃ
一生立ち直れないし、



もう、この世に
○ちゃんが居なくなったことを
容け入れられないまま
一生探し続けてしまう気がするよ。





会社での悩みは
お母さんには解決できないけど、


無意識に自ら死を選ぶほど
辛かったんだよね?




お母さんなら、上司に
そんな酷い叱責をされたら、


きっと捨て台詞を吐いて
書類を叩きつけて即退社!


2度と会社には行かなかったと思う。
(ちょっと大人げないけど。)


でも、これが自分の命を守る方法。



○ちゃんは、真面目で優しくて
責任感が人一倍強いから
逆に、それが仇になってしまったね。



小さな会社でも、お給料が安くても
それより大切なのは人間関係が
うまくいく職場・・・


お母さん、いつも言ってたよね?







「兄ちゃんが、パニック障害で
働けなくなって、家に居るから
お母さんが相当それで苦労している。


まさか、自分まで鬱になったかも?
なんて、お母さんに言える訳がない。」と


話していたことを
○ちゃんが亡くなったあと
お参りに来てくれた
大学院のときからの先輩に聞いたよ。



○ちゃんのは、鬱って言っても
行ってた会社が全ての原因だから、



辞めて、しばらく実家で
のんびり休養してれば、すぐに元に
戻れるレベルだったと思ってる。


今さら言っても、後の祭りだけど・・・





そのことは、お母さんが言わなくても
兄ちゃんがいちばん分かってるよ。



自分なんかが、いなければ
○ちゃんは、お母さんに早く相談して


死ななくて済んだのに・・・って。



ダメな自分のほうが、○ちゃんの代わりに
死ねばよかったのに、
なんで、俺が生き残ってるんだろう。って
いつも自分を責めてるみたい。



それも、見てて可哀想だと思う。



きっと死ぬまで、その思いを
抱えたまま、生きていかなければならない
兄ちゃんも不憫でたまらない。



○ちゃんは、子供のころから
全く手のかからない子で


しかも優しくて、本当に可愛いくて
たまらない、お母さんの宝物だった。




まだまだ、○ちゃんが亡くなったこと、
悲しくて、寂しくて
信じられないけど・・・




兄ちゃんのこともあるから、
もう少し、こちらの世界で
行けるところまで、頑張ってみます。



いつになるか、わからないけど
それまで、そちらで待っててください。



本当に会いたいな・・・




○ちゃんへ


          お母さんより

結婚式の出席

話は遡るのですが・・・



息子が亡くなったのは
2016年の10月11日の夜の8時ごろ。



実は12月3日には
友人の結婚式に呼ばれていました。



インターンシップで仲良くなって


彼が東京から奈良に異動になってからも
親しくしていたそうです。


息子の部屋を片付けるときに
机の上に招待状の封筒があったのて
たぶん、出席の返事をだしていたのでしょう。



亡くなる日を含めて3日間、息子を
自死に追い詰めたパワハラ上司に



「12月3日に有休を取りたいので
よろしくお願いいたします。」と、
メールを出していた。




きっと1日しか書かないと
嫌がらせで、気がつかなかった・・とか
言って、わざと休みをとらせないように
される可能性があるので、しつこく
3日間も有休希望と書き続けたのだろう。



最後の日にも、同僚に「12月に東京である友人の結婚式に出席するんですよ。」と、
楽しそうに話していたらしい。



なので、退勤時の上司からの罵倒に近い
叱責、人格の全否定などなければ、
息子はその日に自死することなんて
自分でさえ、考えてもなかったと思う。


どう考えても、悔しくて
怒りが納まらない‼



遺体を実家に連れて帰って、
家族で通夜をしている最中に



息子の携帯のメールが鳴った。



結婚式に招待してくれてた友人からだった。



「結婚式に出席します。の、葉書受け取りました。式の当日久しぶりに会えるのを
たのしみにしています。」という内容。



読んでいて、結局、式に出席できなかった息子が不憫で涙が止まらなかった。




あちらは、お祝い事の準備で忙しい中、
不幸の連絡は心苦しかったが、連絡もせず無断で欠席する訳にもいかないので、
こちらの事情をメールした。



友人の方も絶句されていた、



「だって、出席します。って葉書が
届いたの、たった数日前なんですよ。」


お互いに泣きながら、言葉には
とてもならなかった・・・



後ほどメールが届いた。


「先ほどは、あまりに急な話で
パニックで頭の中が真っ白になって
ちゃんと、御悔やみも言えずに
すみませんでした。ずっと遠くて最近は
会えてなかったけど、僕で役に立てることがあれば、何でも聞いてくださいね。」と
書いてくれていた。



息子が生きてさえいれば、同じように
家庭をもってくれれば、孫を抱いたりできるのかな?なんて、考えたこともあったけと、全て叶わない夢で終わってしまった。



なんで、私の人生も普通に終えることが
できなくなってしまたのだろう。







Wordの中で・・・

PCのWordの調子が悪かったので


業者さんに見に来てもらった。


すごく古いものだけど


亡くなった息子が
大学の時から使っていた形見だから
使える限りは使ってやりたい。





Wordの中に残っている文書は


最近は、労災関係のものばかりだ。



その中に、大学でずっと
お世話になっていた教授宛てに


息子が亡くなった報告と
これ迄の御礼を
したためたものがあった。



「先生には、本当に多くのことを
ご教授いただきましたが
全てを活かせることができないまま
ひとりで逝ってしまいました。



東京での新しい生活に
希望で胸を膨らませていたのが


つい先日のことのように
思い出されます。」と、書いてあった。




自分で書いた文章なのに、
全文を読み返していたら
抑えていた
涙のダムが決壊してしまった。



どうして息子が
こんな目に遭ってしまったのだろう?



大学のときも、
親に学資を出してもらってることに
いつも感謝してくれてた。


親としては、当然のことなのに
ほとんど遊ぶこともなく
ひたすら勉学に打ち込んでいた。


そんな純粋培養の息子が
いきなり社会に・・・
しかも東京に出ていった。


最初のうちは、東京での生活が
楽しいと言っていた。



東京に住み始めて、すぐに
当時、まだ建造中だった
スカイツリーの写真を
メールで送ってきた。


ただの写真だけど
この時点のワクワク感が伝わってきた。


今となっては、
私の宝物のひとつだ。



なのに、
どうして、こんなことになったのか?



ただ、息子は
会社の役に立ちたいと
上司の無理難題にも応えようと
命を削ってまで
精一杯頑張ってきただけなのに・・・・



利益の追及しか考えない会社と



体力的にも精神的にも
人を追い詰めると、
どうなってしまうのか・・・


想像力も思いやりも
全く持ち合わせのない
無能な上層部や上司、先輩、同僚。




真面目で優しく、
責任感の強い人間ほど


犠牲者になってしまう不条理さ。




少子化が問題と言いながら



毎日、有能な若い命が
次々と使い捨てにされているのに


実効性のある具体的な対策を
なにも立てない口だけの国家。



命が失われた後では
本当にどうにもならないことを


政治家や役人も
自分の家族で体験するまでは
本当に気がつかないんだろうな・・・


私だって、そうだったから。




大切な子供が
自分より先に逝ってしまうような
悲しい思いをする親は、
私たちだけで、終わりにしてほしい。




なんて、きれいごとを書いてるけど、



本心は、生き返ってくれるなら


私の息子だけでもいい・・・と
思っている。


最低だな・・・私って!