ある日突然、自死遺族になって。

2016年10月に息子を自死で亡くしました。過労自死でした。

家族への愛

以下の文章を見つけたので、よろしければ読んでみてください。


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自死遺族の方は、なぜ、自分の夫、自分の子どもが自分たちに何も言わずに、自死したのか?それがわからない。もしかしたら、自分の存在は夫や子どもにとって、どうでもいいような存在だったのか?という不安が頭の片隅にあるようです。


でも、それを亡くなった本人に聞くことはできません。


うつ病と戦っている方々も、自分の話を聞いてくれて、つまり、頭ごなしに否定したり説教せずに、自分を温かく理解しているとわかると、むしろ、自分の体験を話したいそうです。


自分の経験が人の役に立っているとわかると苦しい体験をはなしてもそれほど苦しくならないそうです。


本当は話したいようです。


うつ病で休職した方の多くは、

死ぬことを考えることも自分を安心させるシステムだと話してくれます。


死ねば、苦しみから解放されると考えると、解決の方法を見出したようなほっと一息つけるような、アマだるいような感覚を持つとよくおっしゃいます。


ああ、こうすれば死ねると考えると

そうしないように自分を止めることが

なかなか心理的労力が必要になる

ということもおっしゃいます。


ふと、自死を実行する誘惑にかられるのでそれを思いとどまり、自分が生きていることが不思議な感覚になり、自死を実行してしまった人とどこが違っていたかよくわからないとおっしゃる方もいます。


その時も、何人かうつ病で休職されている方も参加していました。


私が事情聴取の報告をしていたら、

初参加の休職中の方が、

いちいち全部自分にも当てはまると

お話ししてくださいました。


きわめてよく似ているところがあります。


「家族には、うつを隠す」

ということも共通のようです。


無理に笑顔を作ったり、

ということもあるようです。


でも、そうすることは、心理的体力を

根こそぎ使うような、大変疲れる作業だそうです。


遺族の方から「どうして、苦しいことを話してくれなかったのでしょう。」

という質問が出ました。


その方は、ほとんど即答で言いきりました。「それは家族を愛していたからです。」


ご自分の体験を交えてお話してくださいました。


「愛する家族にだけは、心配をかけたくない」という気持ちが強すぎるようです。


愛すれば愛するほど、隠さなければならないという気持ちになるようです。


ほとんど感情が残っていないような重いうつの症状が出ているにもかかわらず、

「家族に心配をかけたくない」という感情だけは、最後まで残っているようです。


(もちろん、死んだらもっと苦しめるのですが、そのような派生的効果を考えるほどは、思考力や視野は残されていません。今を考えるので精いっぱいになっています。)


遺書を拝見しても、家族のことを考えていることがはっきりわかりますし、

家族の抱えるであろう今を具体的に把握していることがわかります。


そうして、心配をかけたくないという感情を元に、たぶん、その時一番つらい作業である笑う表情を作ったりわざとふざけて見せたりするわけです。


おそらく、自分の残された精神的エネルギーをすべて絞り出して、家族のために、全力を出しているのでしょう。

出しきっているのだと思います。


ある自死されたお父さんは、その直前

感情も思考もなくなったのに

週一度の休みである、日曜日の午前中に

子どもたちを映画や遊園地に

必ず連れて行っていました。


昼ご飯を家族で食べて、

午後からは仕事に出ていました。


自死することは何とか防止しなければならないのですが、そのためにも自死者の実態を知らなければなりません。


自死者が、家族を愛しているからこそ、

自分の苦しみや、自殺しようとする気持ちを全力で隠すわけです。


これが自死のリアルです。


自死遺族連絡会の田中幸子さんや上智大学の岡知史先生は遺族の悲嘆は、遺族の自死者に対する愛だとお話しされています。もっともなお話です。


今回もう一つの愛があったということを知りました。自死者の、家族に対する愛です。


家族は、自死者から、大事に思われていなかったのではなく、最後の精神力を振り絞って一番大切に思われていたということなのです。おそらく、常人には発揮できない精神力です。


これが自死のリアルなのです。


愛する人を思いながら、自死以外の選択肢を失ってしまう自死者、いつまでも、自分を責めながら悲しみ続ける遺族、


だからこそ、だからこそ、

自死を何としても予防しなければならないのだと私はそう思いました。