ある日突然、自死遺族になって。

2016年10月に息子を自死で亡くしました。過労自死でした。

過労自死

プライベートな書き込みで恐縮なのですが、

私の次男は2016年の10月に過労自死で亡くなりました。9月に31歳の誕生日を迎えたばかりでした。


まさに青天の霹靂でした。私は大分県在住ですが、息子は茨城県で勤務していました。


突然、主人から電話があり、茨城の警察署から連絡があって、次男が亡くなった。しかも自殺で縊死、いま検死しているという。


主人が何を言っているのか理解できなかった。


息子が死んだという言葉だけが、私の頭の中を空回りするばかりで、意味が理解できなかった。


会社や警察からは何度も電話があり、「いつ迎えに来れますか?」そればかり・・・


とにかく飛行機のチケットを取らなきゃ・・

でも、全く思考が働かない。


気持ちははやるけど、翌日のチケットを取るのがやっとだった。


空港には会社の人が迎えに来てくれていた。


行く先々で、いろいろな会社の人から名刺を渡される。役員の肩書きがある人ばかりだ。


実際に息子を知っている人はいないんだろうなぁ?と思う。


私たちの見ていないところで、息子に関係のない雑談をして笑っている。


この人たちから見れば、息子は会社にとって困ったことをしでかした迷惑な社員でしかないのだろう。


警察署に着いて、初めに鑑識の方から状況の説明があって、霊安室に案内された。


顔にかかった白い布を取った瞬間を一生忘れない。私の愛する息子の顔だった。

まるで眠っているような安らかなきれいな顔だった。声をかけたら目を開けてくれるんじゃないか?そう思わせてくれた。


でも、顔や体に触れると氷のように冷たかった。一刻も早く産まれ育った実家に連れて帰って、暖かい布団に寝かせてやりたかった。


警察の人からは、現地での火葬を勧められたが、なにがなんでもこの姿のまま実家に連れて帰ると決めた。でも、そんな業者さんがなかなか見つからずに大変だったが、警察署の方たちが親身になって探してくださった。


羽田から大分まで飛行機で、地元の葬儀屋さんに空港まで迎えにきてもらった。


やっと産まれ育った実家に戻ってきた息子を二度と手放したくなかった。お坊さんも呼ばす、親族にも息子の友人にも知らせず、主人と私と長男と主人の兄の家族だけで見送った。


遺体のまま保管する方法はないのかと真剣に考えた。火葬も可能な限り延ばしてもらった。でも、ほんの僅かな骨だけになってしまった。この世から息子の肉体が消えてしまった。未だに堪えられない・・・


1ヶ月前に帰省したばかりだった。普段と変わりなく明るい息子だった。「また、お正月には帰るから」と言って戻っていった。

まさか、それが最期の別れになるとは・・


自死の理由が全くわからなかった。

心療内科に通院していたらしいことも警察から聞いた。全く初耳だった。


職場での人間関係の悩みか、或いは労災か?といろいろ考えたが、職場での情報も入手できないし、こちらでの友人関係も見当がつかない。


心療内科の診察券が二枚あったので、それを頼りにせめて受診した状況でも訊ねてみようか?と毎日泣いてばかりの日々を過ごしていた。


すると、ある日息子の同僚だった人から手紙が届いた。内容は、最後の職場での息子の辛い状況が詳しく書かれていた。


残業が多く、しかも申請はできずサービス残業を強いられていたこと、とても1人ではこなせない量の過重労働を押し付けられていたこと、それと子供のいじめのような上司からのパワハラがあったこと。


亡くなった日も、帰り際になって上司からのひどい叱責があり、息子は暗い表情で下を向いたまま無言で退社したそうです。


その一時間後に、息子は社宅の自室て自死に及びました。


明らかに労災申請を視野に入れた手紙でした。同僚の方たち皆さんで話し合って、手紙をくださったそうです。


その後、皆さんでわざわざ大分まで、お線香を上げに来てくださいました。


この同僚の方からの手紙に背中を押されて、現在弁護士さんにお願いして、労災申請の準備中です。


でも、実際にはなかなか難しい案件のようで、まだまだ先は全く見えません。


第一に、未だに毎日泣いてばかりの自分の精神状態が持ちこたえられるのか?


何とか息子の無念を晴らしたい・・・の一心ですが、度々心が折れそうになります。


今は、こちらのブログの皆さんのコメントだけが、心の拠り所です。


これからも、よろしくお願いいたします。