ある日突然、自死遺族になって。

2016年10月に息子を自死で亡くしました。過労自死でした。

うつ病はうつるのか?

私と一緒に住んでいる長男は7年前くらいからパニック障害の薬を飲んでいます。


ずっと独り暮らしをさせていましたが、さすがに働けなくなったので、実家に連れて帰りました。


本人は何度も働こうとしましたが、息子の場合、動悸がひどくなって立てなくなるようです。さすがに最近は働くことは、ほとんど諦めたようですが、薬も効いたり効かなかったりで、寝てばかりの日が続くこともあり、以前は「死にたい!」と口にすることが度々あり、私も常に気にはかけていました。


でも、まさか「死にたい!」など言うのを聞いたこともない次男が、突然死んでしまうなんて。しかも自分で命を絶つなんて・・・


うつ病で心療内科に通院していたらしいことも、亡くなった後警察の方から初めて知らされました。


心療内科の医師にも、兄が精神を病んでいることで母が苦労しているのに、まさか自分も同じような病気だとは、母にだけは打ち明けられないと話していたそうです。


亡くなった弟もうつ病だったと聞いて、長男は「きっと自分のせいで、弟はお母さんに相談できなかったんだ!」と、自分を責めているようです。


死後に見つかったノートにも、「自分なんて死んだ方がいいんだ!」「自分はゴミみたいな人間だ!」「早く消えてなくなりたい!」「自分なんて早く死んだ方が、家族も楽に暮らせるにちがいない!」など・・・



あの明るかった息子からは、想像もつかないような言葉ばかりでした。


最後に

「うつ病は、うつるのか?」

「うつ病は、治るのか?」とありました。


このことは、長男には伝えていません。


いつも優しくて明るかった息子が、こんなに自分を追いつめていたなんて・・・


全く気づかなかった私は、本当に母親失格でした。私が代わりに死ねばよかった・・


本当に心からそう思います。

だったら、次男の死に顔も見なくてすんだはずなのに。


愛する次男が、この世の中から消えてしまった事実と、どう折り合いをつけながら、この先の人生を生きればいいのか・・・


あの子の友人や同僚だった人に会うと、「あの子のことをいつまでも、覚えてやっていてください!」と、つい言ってしまう。


単なる母親のエゴなんだと、わかってはいるんだけど。


今夜もなかなか眠れることはないけど、また長い長い1日がはじまる。

いつまで、このまま・・

息子が突然この世の中からいなくなって、もう少しで4カ月になります。


最近、自分でも号泣することが以前より少なくなったようで、そんな自分がすごく嫌で、母親なのになんて冷たいんだろう・・・って、自分でも許せなくて、ひたすら自己嫌悪!まだ、たった4カ月なんだよ・・


息子の笑顔が見たい!一緒にいたい!会いたい!もっともっと楽しい時間を過ごしたい!

もっともっともっと・・・でも、息子のところに行く勇気もなくて、何となく生きているだけ。本当にただ生きてるだけ。


いつまで、この宙ぶらりんな状態で生きて行けるんだろう?


最近は息子が生きてるのか、もうこの世の中にいないのか?の感覚も、境目がよくわからない時が多くなった気がする。


いまは労災申請のことがあるので、かろうじて目標みたいになってしまってるので、これが終わるまでは死ねない・・と、毎日自分に言い聞かせているけれど。


息子の無念だけは晴らしてあげないと。

勝手に悩んで、勝手に死んでしまった弱い人間・・のような会社の評価は許せないし、息子の死さえ無かったことのように処理しようとしている会社は、もっと許せない。

息子の名誉のためにも一矢報いないと。


でも、そう考えながらも、全て放り出して息子の傍に行きたいと思ってしまう。


我ながら支離滅裂で、しかも弱すぎて、どうしようもなく自分が嫌になる。


「母は強し!」でなきゃダメじゃん!


と、言いつつ、明日も何となく生きていかなきゃならない!


お母さんのいちばん大切で可愛かった○ちゃん!お願いだから、お母さんのところに戻ってきてよ‼

友達が来てくれる。

今日、息子の高校時代からの友人が、我が家にお線香を上げに訪ねてきてくれた。


唯一、私が息子の訃報を知らせた友人だ。

その子は、お参りが今になって遅れたことを詫びてくれたが、そんなことは気にならない。


内気で友人の少なかった息子が、唯一社会人になってからも親しくしてくれていた。


帰省すると必ず二人で食事に行ったが、最後の食事会になってしまったのは、息子が亡くなる1ヶ月前だった。


大分のとり天発祥の店と言われている場所で、ひたすらとり天を食べまくったらしい。


その時も、特に変わった様子はなかったと言っていた。


次のお正月に会う約束をして別れたらしい。


友人は真面目で誠実なのが見てとれる好青年だった。息子といるときは、お互いに口数は少なかったけど不思議と一緒にいるだけで落ち着ける間柄だと話してくれた。


二人で遊びに行ってくると言っても、「何処に行ってきたの?」の問いに「神社・寺・山・灯台・海・・・」の地味~なラインナップ。でも、きっといい関係だったんだなぁ。

何だかほのぼのとして、羨ましい!💫


正直、まだ息子の死がピンとこないと言って、泣きながらお線香をあげてくれた。


息子の喜んでる姿が目に浮かぶようだった。


「時々お線香上げに来ていいですか?」と言ってくれた。「いつでも、どうぞ。息子も喜ぶから」と見送って別れた。


この真面目な優しい青年には、息子の分も幸せに末永く平穏な人生を送ってほしいと心から願った。


今日は本当にありがとう。

よければ、また顔を見せに来てやってね。


息子が亡くなってから、悲しみを引きずってばかりの毎日だけど、今日だけは、爽やかな一幅の風が吹き抜けていったような、少しだけ明るい気持ちになれた日だった。


○○くん、またいつかよってね。

うちの○ちゃんもきっと待ってるからね!!